ストーリーで繋ぐ、日本とアメリカ

私の日本語、そして物語を紡ぐことへの道のりは、十代の頃に始まりました。私はアラスカの小さな町、トラッパー・クリークで、デナリ山の麓で育ちました。1984年、伝説的な日本の冒険家、植村直己さんが、その山の冬季単独登頂に挑みました。山岳ガイドだった私の父は、彼の登頂を追っていたパイロットや登山家たちを知っており、無線でその状況を見守っていました。そして、彼の無線が途絶え、懸命な捜索もむなしく終わってしまった時のことを今でも覚えています。近くの町タルキートナに大勢の日本人ジャーナリストが押し寄せ、私に初めて外国の言語と文化に触れる機会を与えてくれたことも。

この経験がきっかけで言語への関心が深まり、私は全米でも有数の語学大学であるミドルベリー大学に進学しました。そこで日本語を学び、一年間は関西外国語大学に留学しました。卒業後はJETプログラムの国際交流員(CIR)として、新潟県庁の国際交流課で働きました。そこでは、知事や貿易代表団の通訳、多国間フォーラムの運営、そして幅広い分野にわたる翻訳などを担当しました。米国に帰国後は、自ら日英の翻訳・通訳会社を立ち上げ、ハイテク産業や法廷、国際的な放送局の仕事などを手掛けました。

文化の架け橋から、世界的なストーリーテリングへ

しかし、私の情熱は常に「ストーリーテリング」にありました。1998年の長野オリンピックでは、CBSの現地プロデューサー兼フィクサーとして採用されました。ストーリーの企画を提案し、取材交渉を行い、ブライアント・ガンベル氏やバリー・ピーターセン氏のようなトップ特派員をサポートしました。この仕事は、私が感じていたことを確信に変えてくれました。私は単に言語が好きなだけでなく、意味のある物語を伝えるために二つの文化を繋ぐ「架け橋」になるプロセスそのものを愛しているのだと。

以来、私はジャーナリズムとドキュメンタリー映画の第一線でキャリアを築いてきました。私のドキュメンタリー制作における本格的なトレーニングは、PBSの象徴的なシリーズ「FRONTLINE」の数々の受賞作品を制作してきたプロダクションハウス、Rain Mediaで始まりました。この経験を土台に、Netflix、Vox、HBOのViceなど、業界で最も評価の高いメディアでプロデューサーや監督、制作総指揮(ショーランナー)として活動し、複数のエミー賞を受賞するという栄誉にも恵まれました。これらのプロジェクトを通じて、元米国大統領から、日本の国民的グループSMAPのメンバーの方まで、様々な著名な方々とご一緒させていただき、全ての方に敬意とプロフェッショナルな姿勢で接することの重要性を深く理解しています。

信頼と共に、あなたのビジョンを形に

Trapper Creek Mediaでは、私たちの持つ日本語と日本文化への深い知識は、ただ一つの大切な目的のためにあります。それは、あなたのクリエイティブなビジョンを、あなたが思い描くまさにその形で、最高の品質で、そして予算と納期を守って実現することです。このクライアントファーストの姿勢こそが、私たちの会社の核となるものです。

最高の仕事は、相互の信頼と、共に働く経験から生まれると信じています。単発のプロジェクトでも喜んでお手伝いしますが、私たちは常にあなたの長期的な目標を視野に入れ、全体的な視点からコラボレーションに臨みます。私たちのゴールは、あなたの次の日米プロジェクト、そしてその先のプロジェクトでも頼りにされる、信頼できるパートナーになることです。

Trapper Creek Mediaは、貴社の専属的な「米国ストーリー・エンジン」として機能します。私たちは、日本の観客の感性に深く響き、かつグローバルな配信基準を満たすプレミアムな物語を専門に発掘します。トゥルー・クライムから医療ミステリー、感動的な人間ドラマまで、まだ世界に知られていない「上流」の知的財産(IP)を特定し、貴社の制作パイプラインに供給することが私たちの使命です。私たちは、単なる制作支援にとどまらない、ワンストップのソリューションを提供します。ストーリーの特定から、当事者への独占アクセス権の確保、複雑な米国司法制度下での権利交渉、そしてライセンス処理まで、すべての工程を網羅します。貴社の「共創」パートナーとして、リスクを最小限に抑えつつ、ワンソース・マルチユース(OSMU)の可能性を最大限に引き出す資産を構築します。